機関誌『美夫君志』
美夫君志会にて編集、発刊している学術雑誌です。
創刊号~第20号| | 第21号~第40号| | 第41号~第60号| | 第61号~第80号| |
第81号~第100号| | 第101号~| |
第108号(令和6年3月) |
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古代日本語の清濁と訓仮名 萬葉集の表記論的研究にあたって |
尾山 慎 |
正倉院文書「造仏所作物帳」の七夕詩について | 仲谷健太郎 |
『日本書紀』磐之媛皇后の「妬」 桑田玖賀媛の物語を手がかりに |
大脇由紀子 |
万葉集〈問答〉の表現性 | 大浦 誠士 |
第107号(令和5年11月) |
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『萬葉集』巻五・九〇三左注「去神亀二年作之」の「去」の用法 兼ねて「朝」を「とも」と読むことについての仮説 |
金 文京 |
新出「倭歌壱首」木簡の歌句と文学的価値 | 犬飼 隆 |
大伴家持と大伴池主 家持最後のほととぎす詠 |
村瀬 憲夫 |
「心遮」と「情班(斑)」の訓 | 村田右富実 |
第106号(令和5年4月) |
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クロヒメ・クガヒメからみた記紀のイハノヒメ嫉妬物語 | 菊川 恵三 |
天平宝字三年以後の家持 薩摩国守赴任以前を考える |
市瀬 雅之 |
山部赤人「播磨国印南野行幸歌」について | 廣川 晶輝 |
第105号(令和4年11月) |
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大蔵の政 | 古尾谷知浩 |
戯書の文字表現 | 奧田 俊博 |
壬申年之乱平定以後歌二首 よむ・かく・あむ |
井上さやか |
左注者はどこに不審を抱いたのか 大伯皇女一六五・一六六歌に関する一考察 |
上野美穂子 |
第104号(令和4年3月) |
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防人歌と戦争下におけるその受容 | 小松 靖彦 |
木簡目線で万葉集を覗く | 馬場 基 |
『万葉集』巻十六「無名歌六首」考 | 奥田 俊博 |
『万葉集』七夕歌の所伝と応用 信州松本の七夕短冊書付歌をめぐって |
太田 真理 |
第103号(令和3年10月) |
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母に贈る 大伴坂上郎女の「尼理願の死去を悲嘆して作る歌」 |
井ノ口 史 |
仙覚 『萬葉集註釈』 の引用資料 辞書を中心として |
池上 遥平 |
上代の仮名表記と清濁 清音仮名 濁音仮名 をめぐる研究史と「違例」の位置づけ |
軽部 利恵 |
音列に基づいた潜在的ディリクレ配分法による 万葉短歌分類についての試論 |
村田右富実 川野 秀一 吉川 剛平 |
第102号(令和3年4月) |
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神々の争ひ | 新沢 典子 |
有間皇子歌群 一四五番歌左注の解 | 大浦 誠士 |
「たつのま」をめぐって | 仲谷健太郎 |
〈特別企画〉万葉の風 | |
第101号(令和2年10月) |
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『万葉集』の訓詁三題 ―「灰にていませば」「ある愚人」「大島の嶺に家もあらましを」― |
大谷 雅夫 |
「神ながら神さびせすと」 ―人麻呂『吉野讃歌』についての考察― |
倉持しのぶ |
大伴家持のほととぎす詠 ―「独居幄裏遙聞霍公鳥喧作歌」の表現をめぐって― |
井口 日奈 |